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2015年行事報告/青年部ガイダンス(2015年2月22日)

今年のガイダンスは、5月16日に献茶式が行われる
大宮八幡宮の清涼殿で行われました。

当日ご参加くださった会員様のご感想より
ご報告させていただきます。


正式に青年部の会員証をいただき、初の行事でしたが、
東京第六東青年部の成り立ちと活動内容について
役員の方々に分かりやすく解説していただいたので、
これから自分が入会する青年部という組織について
理解を深めることができ、また興味を持つことができました。

懇親茶会では、会員の方々と立礼席にて
一服をともにすることができ、とても心安らぐ時間でした。
特にお菓子がかわいらしくて食べるのが勿体ない程でした。

大宮八幡宮開運ツアーでは境内見学ということで、
散歩のようなものを想像しておりましたが、
社殿に入れてご祈祷までしていただいて、とても貴重な体験でした。
高校時代にこのあたりはよく訪れていたのですが、
このような広大で関東でも有数な神社が存在していたことは今回初めて知ったので、
今回の青年部活動を通じて見識を深められ、とても満足した一日でした。
2015年行事報告/青年部ガイダンス(2015年2月22日)_f0282005_19204982.jpg

# by dairoku-higashi | 2015-03-06 19:28 | 2015年行事報告

江戸紀行/意外と知らない「大奥」 ~その組織・構造と由来

皆さまこんにちは、広報委員の木村でございます


3月3日は上巳の節句、桃の節句、ひな祭りですね
白酒や雛あられをいただきつつ、雛人形や菱餅を飾ってお祝いする


菱餅は現代では紅白緑の3色が一般的ですが
江戸では白緑の2色だった、そんな風に伝わっています


さて、平安以前より始まったこのお祝いの節句
昨年も書きましたが江戸時代も、そして江戸城中でも催されていました


「奥向きに雛人形を飾り、白酒を振舞う」と昨年書きましたが
今年はその「奥向き」、皆さまご存知の「大奥」にご一緒いたしましょう


そもそも「大奥」という言葉、これは「表」「中奥」に対する言葉なのです


「表」とは、江戸幕府政庁、現代でいえば首相官邸というところですね
諸儀式・儀礼をはじめ、将軍が登城した大名と謁見したり、その大名の控室
日々老中・若年寄などが執務にあたる御用部屋などがありました


「中奥」とは、将軍の居住・生活空間
現代でいえば首相公邸といったところでしょうか


将軍の居間などがありましたが
基本的に男性社会で奥女中は出入りしなかったようです


そして、その先は一転「男子禁制」と言われた「大奥」という感じですが
最初に「なぜ奥向きをここまで分けたか」についてちょっと考えてみましょう


中世から戦国時代にかけて、皆さんご存知の通り
決して世の主役は男性だけ、そんなことはありませんでした


奥方(夫人)やその実家の力量が家を左右する
そんなことも多かったのも事実です


古くは北条政子、少し下って日野富子
戦国では前田利家正室「まつ」や、山内一豊正室「千代」あたりでしょうか


千代さんの密かに貯めておいた黄金10枚で
一豊に駿馬を買わせたエピソードは有名ですね


面白いところでは「井伊直虎」


いかめしい名前からさぞ豪傑か、という感じですが
この方、実は「女性」なのです


戦国の遠江・井伊谷で男子が次々に乱世に倒れていく中、自らが当主となり
許嫁の忘れ形見(実子ではない)を養子として育てて、家康に仕えされる


この仕えたのが、後の徳川四天王の一人、井伊直孝ですね


直虎女史が頑張らなかったならば、譜代の名門井伊家も江戸には存在せず
今年も大河ドラマで出てくるであろう井伊直弼もいなかったのかも知れません


ちと話がそれましたが、戦国最大の糟糠の妻、これは秀吉正室「ねね(おね)」
のちの「北政所」というところでしょうか


中世から戦国にかけて女性、特に大名夫人(正室)は
現代における配偶者というだけでなく、公私のパートナー


現代風にいえば「家の共同経営者」という感じだったのかも知れません


逆にそういった「家を切り盛りする器量(容姿という意でなく)」が
必要だったのかも知れませんね


ただ、何事も両面でありまして、うまくいかない場合がありますね
皆さまご存知、秀吉側室「淀殿」ですね


無論、現在の「徳川方から見た歴史」だけで断言することはできませんが
結果として淀殿率いた豊臣家から諸大名が離れ、最終的には徳川家に滅ぼされた


こういった事実は、当時の人々にとって脳裏に残っていたと考えられますね


さて、お話を「江戸城大奥」に戻しましょう


江戸城も当初はそれほど表と奥が分かれていなかったようですが
大坂の陣を経て世が安定し、城の規模も大きくなってきた元和9(1623)年


初めて「大奥法度」が定められ
以降「大奥」が整備されていったと言われています


大奥法度はどちらかと言うと大奥への出入り規制の面が強かったようですが
同時に奥向き(女性たち)が表に出てこないようにする、そんな一面もありました


やはり豊臣家の滅亡を見ていた幕府創生期の徳川家臣にとっては
奥向きが「表(政事)」に介入してくることを恐れたのかもしれません


また実際、三代将軍をめぐって徳川家中が
「家光(春日局)派」と「忠長(正室お江)派」に分裂しかかったことも
この遠因になったのかも知れませんね


さて、そんな経緯で生まれた「大奥」
時代とともに多少の変遷はありますが、俗に「大奥三千人」と言われ


将軍と正室である御台所、側室を中心に大きく分けて3つに分かれて
「女性だけの(厳密にいえばそうではないのですが)空間」を構成していました


皆さんがドラマなどでよく見るのは「御殿向」
正室や側室、将軍生母など、俗にいう江戸城の奥御殿というべき空間です


無論、大奥を管理運営するためには多くの設備が必要になるわけでして
これが「広敷向」、言わば大奥管理オフィスといった感じでしょうか


さらに三千人の大半は中位以下の女中、手足がいないと話になりませんね
彼女たちの生活場所が「長局向」、言わば大奥職員女子寮という感じですね


この3つの空間によって構成されていた「大奥」は「男子禁制」
ドラマなどでは、将軍以外一切ダメ「将軍様のハーレム」という趣に描かれますが
実際のところはそうではなかったようです


将軍以外でも御三家・御三卿の他、他家養子に出た将軍子息はじめ
広敷向の用人などは広敷向で勤務したり御殿向に出入りできたと言われています


ただ、長局向は緊急時の医者以外は男子禁制だったようですね
やはり女子寮は男子禁制だった、ようですね


さて大奥女中は大きく出身出自により3種類に、職制は20に分かれていました


大奥の最高責任者は「上臈御年寄」
この配下に「小上臈(見習い)」「御年寄」がいて
この3職は公家出身が多かったようです


基本的には将軍正室・御台所の相談相手などであったため
御台所が公家出身が多かったのが影響しているのかもしれませんね


その下には「御客会釈(あしらい)」以下、13の職制があり
ここは旗本の娘が採用されていたようです


ちなみに、この13の職制のなかには
将軍や御台所の身辺お世話をする「御中臈」もあり


将軍側室はここから選ばれることが多かったとされ、器量が良かったようですね


蛇足ですが「御中臈」には追加呼称があったようで
将軍のお手がついていないのは「お清い方」、お手がつくと「汚い方」
御世継を得たら「御部屋様」、子を得れば「御腹様」


そんな風に呼ばれたそうです…
うーむ、なんだか微妙な呼称ですよね


更にその下には「御仲居」以下4つの職があり
ここは武家の推挙があれば、町人の娘なども採用されたと言われています


「御仲居」以下とそのすぐ上の「御三の間」は御目見以下の下級女中
それ以上がいわゆる御殿女中、奥女中と言ったところかも知れません


さて、先ほど書いた女子寮「長局向」での生活を少し覗いてみましょう


長局向は一部を除き、総2階建となっていて、一区画70畳くらいの空間に
高級女中を中心に10名以上の女中が暮らしていたとされています


台所・湯殿・便所なども各区画ごとにあり、現代風にいうならば
高級女中が「自分の勤務先に隣接した贅沢な高級マンション(女子寮)」に
お世話係の女中と一緒に暮らしている、という感じが近いのかもしれません


ちなみに奥女中の休暇は「宿下がり」と呼ばれ、勤続3年で6日、6年で12日
9年目に16日、3年ごとに付与されていたようです

但し、これは御目見以下の下級女中の話で御目見以上の奥女中は
御台所の代参など社寺参詣のみだったようで

こういったのがよくドラマで使われていますね


ところで、ドラマなどでも有名な「江島生島事件」
これも代参の帰りの芝居見物で門限に遅れたのが発端だったと言われています


ちなみに江戸城内の大奥出入口は七つ口と呼ばれ
その名の通り門限は七つ時(午後4時)だったそうです


ところで、城自体への奥女中の出入りは平川門からのみだったようで
度々あった大奥火災の折には避難してくる奥女中を一目見ようと
江戸庶民が見物に来たと「甲子夜話」にも記されています


さて、そんな奥女中達ですが将軍代替わりとともに入れ替わり
退職することが多かったようです


無論、前将軍に仕えていたので、継承という観点から
新将軍の指名で残る者もいたようですが


新しい将軍付・御台所付の女中もいるわけですから
仕方ないのかもしれませんね


江戸城を下がった奥女中達ですが、世間では


「器量もよく化粧も上手だが
 世間知らずで人情に疎く、嫁としてはちと欠ける」


こんな感じで見られていたと言われています


江戸時代最高のキャリアウーマンたちも
第二の人生は大変だったようですね


年齢も人間五十年の当時、30歳を過ぎている人が多かったので
後妻となったり大奥で身に付けた教養(茶道や華道)で身を立てる


そんな人も多かったと伝わっています


ちなみに勤続30年以上の女中は比丘尼と呼ばれて
生涯生活に困らない扶持米が与えられたとも伝わっています


また一度でも将軍のお手の付いた女中は、生涯御殿下がりは許されず
髪をおろして二の丸や桜田御用屋敷で隠居生活を送ったようです


生活には不自由しませんが「一生、籠の鳥」というのも
これもまた大変ですね


今回あまり触れられなかった奥女中の日々の生活については
またあらためて御台所の一日とともに書きたいと存じます


今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました
また来月お目にかかりましょう
# by dairoku-higashi | 2015-03-03 21:11 | 江戸紀行

月刊「せせらぎ」電子版 -Vol.21-

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 月刊「せせらぎ」電子版 -Vol.21-
     2015/02/06 配信

  裏千家淡交会東京第六東青年部
       広報担当
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東京第六東青年部の皆様
寒い日が続いておりますが、
いかがお過ごしですか?


インフルエンザが流行ってますので、
気を付けて、お過ごし下さい


東京第六東青年部
広報担当でございます
今年もセタロク、
毎月6日にお届けします

「せせらぎ」電子版 Vol.21 ━━━━━━

 ■1■ 役員リレーコラム
 ■2■ 行事のお知らせ
 ■3■ 「今月の禅語」
 ■4■ 「江戸紀行」
 ■5■ 編集後記

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 ■1■ 役員リレーコラム
     副部長:齋藤智代
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20年前、初の宗家研修参加にあたり
 暗記した、裏千家淡交会の「ことば」
 私は日常でも心中で時々唱えています


 この精神を世界中の人間が
 心がけ実践できたら、
 妬みもいじめも戦争すらも
無くなるのではと真剣に思います

 「ことば」を高く評価して
 教育課程に裏千家茶道を取り入れる
決定をする学校がたくさんあるそうです

 入会したての会員の皆様はもちろん、
青年部歴の・茶歴の長い方も
 改めてじっくり読み、
 私達の茶道の素晴らしさと
 意義を見直して、
日頃の暮らしに役立ててみませんか
 

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 ■2■ 行事のお知らせ
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【行事予定】
 ◇2月22日(日)
 青年部ガイダンス

 ◇3月2日・3日
 成城ケア ボランティア呈茶

 ◇5月16日(土)
 大宮献茶式

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 ■3■ 「今月の禅語」
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 2月は、如月といいますね。

 如月という名前の由来の一つとして、
 まだ寒さが残っており、
衣を更に着る月であるから
 衣更着という説があります

 寒さの中、春の日差しを感じる時が
 あるのも2月ですよね

 
 そんな少し先の春を感じる
 禅語は、こちら↓

【2月の禅語】
 「春光日々新」
  -しゅんこうひびあらた-

 春の景色は、
 日を追って変化し、
 毎日毎日が新しいという意味

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 ■4■ 江戸紀行 木村広報委員
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 小説・ドラマで有名な
      「鬼平犯科帳」と言えば
 
 火付盗賊改方長官「鬼の長谷川平蔵」
           が主役ですが…
 ▼続きはこちらから▼
 http://setaroku.exblog.jp/23634633/

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 ■5■ 編集後記 
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 今期より広報委員になりました
 神谷です!

 年明けは、新しく習い事を始める方が
 多いと言われていますが、
 皆さまの社中にも
新人さんが入会されましたか?

 新人さんのお稽古を見ていると、
 もう一度、初心に戻って、
お稽古に取り組める気がしますね

 今期も、どうぞよろしくお願いいたします♪

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 月刊「せせらぎ」電子版-Vol.21-
 毎月6日配信

 茶道裏千家淡交会 東京第六東青年部
  部長 穴井 正人
  広報 中村・木村・神谷・正本

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# by dairoku-higashi | 2015-02-06 20:06 | メルマガバックナンバー

江戸紀行/江戸の刑罰・鬼平と更生施設

皆さまこんにちは、広報委員の木村でございます

 さて、いきなりですが質問です
 「2月28日(旧暦 今でいえば4月12日頃)って、何の日でしょう?」


 答え:火付盗賊改方長官である長谷川宣以(平蔵)が人足寄場を作った日


 「人足寄場って?」というのは、おいおいお話しいたしますね


 昨年11月号で、江戸の行政・警察についてお話しいたしましたが
 刑罰については続編で、と書いておりました続編を今月はお届けします
 (やっぱりお正月にはふさわしくないですしね)


 時代劇でよく耳にするセリフ


 岡っ引きが八丁堀の旦那にご注進するシーン

 犯罪の犯人が分かった時
  岡っ引き:「旦那、下手人は○○でっさ(犯人の名前)」
  旦那  :「よし、しょっ引くぞ!」
  岡っ引き:「がってん承知!」

 よく見られるシーンですが、この文脈では
 「下手人=犯人(現代でいえば容疑者)」という感じですよね


 意外と知られていませんが、実は「下手人」という言葉
 「特定の犯罪」の刑罰(犯罪者)を指す言葉なのです

特定の犯罪とは「喧嘩・口論などによる殺人」で
 「死罪」より一段低い死刑で、6つある死刑の中で一番低いものでした


 死刑には賛否両論議論がありますが、現代日本で死刑と言えば「絞首刑」
 ただ江戸時代には死刑だけでも以下の6種類が存在しました

  磔 :はりつけ・柱に縛った犯人を槍で突き、死骸を晒す
     主殺し・親殺し・通貨偽造・関所破りなどの適用
  獄門:斬首後、首を晒す
     主人の妻との密通・強盗殺人などに適用
  火罪:火あぶりのこと
     放火犯に適用
  死罪:斬首後、死骸を様斬(ためし斬り)される
     10両以上の盗みに適用

  罪が重い順でいくと、その下が「下手人」です


 「あれ、6つでは?」  
 そうです、もう一つありました、磔以上の極刑がありまして
 「鋸挽」=のこぎり引きという刑で、主殺しに適用されました


 江戸時代よく言われたとされる
 「10両(現代換算で40~50万円)盗んだら首が飛ぶ」


 実際にそうだったようですね


 さて、奉行所のお白洲のシーン
  お奉行様:「市中引き回しの上、打ち首獄門を命ずる」  

 「市中引き回し」とは、見せしめのために江戸市中を引き回したことで
 磔~死罪までの罪に、付加刑として追加されたようです


 磔・獄門・火刑の処刑は「鈴ヶ森(品川)」「小塚原(浅草)」で行われました
 役割分担があったのかと言えば、そうではないようで「犯行場所に近い方」
 「江戸出生の人であれば、出生地に近い方」が選ばれたと伝わっています


 ちなみに今年の大河ドラマの主要人物の一人、吉田松陰は安政の大獄で
 処刑となりましたが、死罪(斬首)のため伝馬町牢屋敷で処刑されました


 江戸時代最大の牢獄であった「伝馬町牢屋敷」

 牢屋にも種類があったようで
  揚座敷:御目見以上の直参や僧正など高層・神官など
  揚屋 :御目見以下の直参・陪臣・僧・医師・山伏など
  大牢 :上記以外の庶民など 1室30畳程度で最大100名程度収容

 また大名や500石以上の武士は大名屋敷にお預けになったそうです


 大半は未決囚だったようですが、300名~400名程度が在牢しており
 多いときには900名近くが収容されていたと伝わっています


 現在は十思公園となっており「松陰終焉の地の碑」もありますので
 今年は訪れる人も多くなるかもしれませんね
 http://www.chuo-kanko.or.jp/walking/oedo/03.html


 またまた奉行所のお白洲のシーン
  お奉行様:「殊勝であるゆえ、罪一等を減じ江戸所払いを命ずる」

 悔悛の情著しい、お上に協力、などで減刑されることもあるようですが
 死罪以外の刑はどのようなものがあったのでしょうか?

  遠島:江戸の場合、伊豆七島に島流し
     過失殺人・博奕犯・女犯の寺僧などに適用
   
  追放:犯罪の軽重に応じて重・中・軽の三種類が存在
     重に行くほど追放(立ち入り禁止)対象地域が広く
     国名や街道筋で指定されていました

     関所を忍び通った人・主人の娘と密通や
     帯刀した町人や百姓などに適用されたようです


 さて、よく聞く江戸所払いは2種類ありました

  江戸十里四方追放
   日本橋起点で東西南北それぞれ五里四方(約20キロ)より外に追放
   現在でいえば、川口の少し先・船橋・三鷹・川崎より外という感じですね
   偽名で奉公した人などに適用されたようです

  江戸所払い
   品川・板橋・千住・本所・深川・四谷大木戸の外に追放

   面白いのは、現在大江戸線の走っているエリアは
   実は江戸時代は江戸外(江戸市街地の外)が多いことですね


 それ以外の刑罰はこのような感じでした

  所払
   居住している町からの追放で、軽い盗みなどに適用したそうです

  手鎖(過料)
   過料は罰金刑、手鎖は罰金納付が困難な時に30日・50日などの期間
   両手に手鎖をかけて封印したそうです

  急度(きっと)叱り・叱り
   罪を叱責、急度(きっと)叱りは「重い叱り」とのことです


 さて「江戸の刑罰」、現代と比べていかかでしょうか?
 「死刑」「追放刑」「説諭刑」の大きく3種類で、懲役刑がありませんね


 無論、佐渡金山送りなどもありましたが
 これも懲役というより追放に近いかもですね


 前置きが長くなりましたが…
 そこで冒頭の「人足寄場」がようやく出てまいります


 江戸市中も、町人文化も発展した江戸後期、火付盗賊改方長官であった
 長谷川宣以(平蔵)は「犯罪者は手に職を持っていないから再び犯罪に走る」


 そのため、犯罪者の更生施設として「人足寄場」設置を老中・松平定信に献策
 寛政2(1790)年2月28日に石川島に開設されたそうです


 当初は「無宿人(人別帳から除かれた人)」や
 「刑を終えたが引き取り人がいない人」が対象で150名程度を収容していましたが
 文政3(1820)年以降は江戸払以上の追放刑の受刑者も入所するようになり
 400~600名が入所していたとのことです


 入所者には大工・左官・鍛冶・紙漉き・米搗き・草履作りなどの職業体験や
 川浚いなどの公共土木工事を担当させ、仕事を覚えさせるとともに
 出所時には相応の労働報酬を積み立てたものが
 当座の資金として渡されたとされています


 いろいろ問題もあったとも言われていますが、庶民の市井に通じたとされる
 長谷川宣以(平蔵)ならではの「人足寄場」というアイディア


 世界を見わたしても、更生のための施設建設・運営は画期的なことですね


 さて少し長くなりましたが、江戸の刑罰についてはこのあたりで
 また来月、お目にかかりましょう
# by dairoku-higashi | 2015-02-04 22:20 | 江戸紀行

月刊「せせらぎ」電子版 -Vol.20-

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 月刊「せせらぎ」電子版 -Vol.20-

     2015/01/06 配信


  裏千家淡交会東京第六東青年部

       広報担当

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東京第六東青年部の皆様

新年あけまして、おめでとうございます



東京第六東青年部

広報担当でございます



今年もセタロク、毎月6日にお届けします

本年もどうぞよろしくお願いいたします



新コンテンツも新たに加わりました

今年最初のセタロク、お楽しみください♪



「せせらぎ」電子版 Vol.20 ━━━━━━


 ■1■ 新旧部長よりのご挨拶

 ■2■ 行事のお知らせ

 ■3■ 新コンテンツ「今月の禅語」

 ■4■ 江戸紀行

 ■5■ 編集後記


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 ■1■ 新旧部長よりのご挨拶

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【村田前部長~おつかれさまでした】


この2年間、青年部活動にご支援ご協力いただきまして誠にありがとうございました。果たして私に務まるのか全く自信がありませんでしたが、本当にたくさんの方々にお支えいただき感謝の念でいっぱいです。

部長として全国代表者会議で事例発表させていただいたことや、小寄せ茶会で今期のスローガンであるオーケストラをテーマにお茶席を持たせていただいたことをはじめ、青年部活動の一つひとつのシーンが全て忘れられない思い出です。全国的に青年部の組織改変がなされた1期目ということで試行錯誤も多々ありましたが、新しい青年部が少しずつ形づくられていくことにやりがいと楽しみを感じていました。伝統と組織力のある東京第六東での部長経験は私にとって人生におけるかけがえのない糧となりましたことは間違いございません。

これからは、穴井新部長のもと、より魅力的な青年部をめざして尽力していきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。2年間本当にありがとうございました。

村田博信



【穴井部長~よろしくお願いいたします】


新年明けましておめでとうございます。

皆様におかれましてはつつがなく新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。


新体制になり二年目となる大事な年に前部長の村田さんからバトンを受け取りました。200名の会員数を持つプレッシャーはありますが、全員と顔を合わせてコミュニケーションが取れたら嬉しいです。


今年は献茶式、来年は地区大会と大きな行事のある任期です。皆様のご協力なくしては乗り越えることは出来ないでしょう。精一杯頑張りますのでご支援お願い申し上げます。


新しい年が更に良い年になるよう祈念致しまして、新年の挨拶とさせていただきます。


穴井正人



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 ■2■ 行事のお知らせ

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【行事報告】

 ◆11月29日(土)

 フェアウェルパーティ(ブロック行事)

 http://setaroku.exblog.jp/23519345/


 ◆12月14日(日)

 クリスマス懇親会

 http://setaroku.exblog.jp/23519328/


【行事予定】

 ◇2月22日(日)

 青年部ガイダンス


 ◇2月末~3月頭

 成城ケア ボランティア呈茶


 ◇5月16日(土)

 大宮献茶式


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 ■3■ 新コンテンツ「今月の禅語」

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 今年から始まった新コンテンツ


 掛け軸に書いてある「禅語」

 お読み上げいただいて意味を伺いますが

 知らない言葉も結構ありますよね 


 そこで今月から毎月、その月の禅語を

 簡単な解説とともにお届けします



 初回の正月は、よく拝見するこの禅語


【正月の禅語】

 「無事是貴人」

  -ぶじこれきにん-


 禅でも茶道でも、何の計らいもなく

 自然法爾に徹する人を

 最高の人とするという意味


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 ■4■ 江戸紀行 木村広報委員

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 新年あけましておめでとうございます


 「一富士、二鷹、三茄子」

 ところで江戸の初夢って、いつみる夢?


 ▼続きはこちらから▼

 http://setaroku.exblog.jp/23518052/


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 ■5■ 編集後記 

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 広報委員の木村でございます

 平成27年もいよいよスタートです!


 平成も「もう27年経った」のですね

 時の流れの速さを実感する、年の初め

 皆さま、いかがお過ごしでしょうか


 来年の地区大会も、あっという間かも 

 今期も毎月6日にお届けするセタロク


 どうぞよろしくお願いいたします♪


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 茶道裏千家淡交会 東京第六東青年部

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