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続・江戸紀行 江戸を旅する~神谷町編~愛宕のお山から坂の多い町を神谷町へ

皆さま、こんにちは
副部長の木村でございます


いよいよ緑も色濃く、夏のような日々が続いておりますが
皆さま、いかがお過ごしでしょうか


今月も引き続き「芝愛宕下絵図」を片手に歩いてまいりましょう


今いるのは絵図の真ん中やや左、愛宕神社の門前のあたりです


愛宕山は標高26メートル、江戸御府内の最高峰で、現在も23区内最高峰の山ですね
江戸の昔は花見の名所として庶民に親しまれていました


元々は徳川家康が江戸の守り神、特に防火・火伏の神様として
京都の愛宕神社から分祀したのが始まりとされています


京都の愛宕神社は防火・火伏の神様としても有名で


「火迺要慎」のお札は現在も京都を中心に多くの人々に用いられているそうです


また、明治の神仏分離令まで祀られていた「勝軍地蔵」は武人の信仰を集め


明智光秀が本能寺の変の直前に戦勝祈願とともに
連歌の会を催した「愛宕百韻」は、時代劇などでもおなじみのシーンですね


連歌の会の発句は明智光秀の「ときは今 あめが下しる 五月かな」とされ


 時は今 = 今が決起の時である、明智氏のルーツの土岐氏もかけている

 あめが下しる = 雨ではなく、天下を下にする → 天下を取る

 五月かな = 本能寺の変は6月2日 連歌は直前の五月下旬に行われた


信長を討つ意図を示し、これを聞いた秀吉が謀略を巡らせた、なんていう話も
時代劇などでは虚実織り交ぜたエピソードとして出てきますね


話が横道に逸れましたが、そんな愛宕神社の分社も江戸の人に親しまれていました


さて、道を上の方に進んでまいりましょう


真言宗智積院の東京別院「真福寺」のある角は、現在の愛宕一丁目の交差点
この交差点を左折して進んでまいりましょう


道の右側、御家人の屋敷が連なっているあたり、現在の虎ノ門ヒルズですね
次の交差点は現在の虎ノ門三丁目の交差点、現在の国道1号線(桜田通り)です


通りをふたたび左折して、下の方に進んでまいりましょう


浄土宗江戸四ヶ寺の一つといわれた「天徳寺」の境内が左に広がっています
門前丁(門前町)もある、大きな寺院だったようですね


さあ、その先はいよいよ神谷丁、現在の神谷町のあたりです


徳川家康の江戸入りに随行した仲間(ちゅうげん)の屋敷があったとされ
出身地の三河国八名郡の村の名前から「神谷丁」と名付けたとされています


葦手町の交差点を右に曲がると(地図上は上から来て、左に曲がると)
「土取バト云(つちとりばという)」と書いてありますね


「土取バ」とは「土取り場」のことで、土木工事に必要な土砂を採掘した場所と
伝えられています、江戸の頃はこのあたりに土取場があったようですね


その先は「城山」と言われているあたり、現在の城山ガーデンがあるあたりですね
太田道灌が築いた城砦がその由来とも伝えられている「城山」


現在は、城山ガーデン・ホテルオークラのあるあたり
確かに起伏が激しく、中世の城砦には適した地だったのかも知れませんね


ロビーラウンジをはじめ、ジャパニーズ・モダニズム建築として有名だった
「ホテルオークラ本館」は現在立て直し中ですが


その敷地、江戸の昔は松平大和守のお屋敷だったようです
お屋敷の縁をまわる「江戸見坂」は、江戸市中が一望できる絶景だったようです


現在も営業している「ホテルオークラ別館」は「定火消添屋敷」や御家人屋敷ですね
旗本が任命されていた幕府直轄の火消「定火消」の屋敷の一つだったようです


スペイン大使館やスウェーデン大使館、泉ガーデンなどが立ち並ぶ一帯の道
江戸の昔も、現代とほぼ同じ感じで続いていたようですね


左側に八戸藩「南部遠江守」の上屋敷が見えてきました
現在の六本木ビュータワー、ラフォーレミュージアムのあるあたりです


道を進んでいくと谷へ下りていきます、ガゼンボウダニ(我善坊谷)と書いてます
このあたりは江戸初期、麻布野と言われ、谷も深かったようです


二代将軍秀忠の正室「お江の方」を荼毘に付したとされる麻布野
そのお堂があり、お堂の名前から我善坊谷と言われていたとも伝えられています


現在にも残る「ガン木坂(雁木坂)」を下りていくと、飯倉丁二丁目のあたり
右に曲がり、三丁目との境が現在の「飯倉の交差点」ですね


桜田通りに戻ってまいりましたが、現在のロシア大使館は秋田安房守のお屋敷
お隣の「一乗寺」は飯倉の町に、瑠璃光寺も飯倉四丁目にありますね


そして、東京タワーのあるあたりは、寺院や増上寺の境内だったようです
それでは、坂を赤羽橋の方に下りてまいりましょう


この絵図が書かれた幕末、万延年間のためか「外国人旅宿」などもあります
赤羽橋の交差点は現在も広い交差点ですが、江戸の昔も広々としていたようです


さて、今月も歴史の話が多くなりましたが、このあたりでひと休みしましょう
今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました!

by dairoku-higashi | 2018-06-05 22:37 | 続・江戸紀行
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