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続・江戸紀行 江戸を旅する ~神田・日本橋編~

皆さま、こんにちは
副部長の木村でございます


新年あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます


拙筆も2014年1月から、今回で丸4年目を迎えることができました
よもやま話ばかりで恐縮なのですが、なにかのお役に立てば幸いです


さて「日本橋北神田浜町絵図」を手に持ちまして、そぞろ歩きを続けましょう


今立っているのは、地図の左上「八辻原」のあたりです


神田川を渡った「上(北)方向」は現在の秋葉原のあたり
南北を貫いているのは当時の上野御成道、現在の中央通りですね


それでは通りに沿って、下(南)方向に進んでまいりましょう
現在にも地名の残る「須田町」「錦町」を抜けると、いよいよ「日本橋」


「十軒店町」からが日本橋のメインエリアともいうべき一帯ですね
この辺りの灰色に塗られた町が商人地、いわゆる大店が立ち並ぶ一帯です


ただこの切絵図、前にも書いたことがありますが、武家・寺社については
細かく記載されているのですが、町人地はさっぱりという感じです


そこで今日は「江戸買物独案内」も片手に進んでまいりましょう


「江戸買物独案内」とは、その名の通り、江戸のショッピングガイドで
大坂の版元が、江戸の店から広告料を取って掲載していたものでした


広告料によってスペースに差があったり、記事広告のような挿絵があったり
現在の雑誌・ショッピングガイドの原型のようなものですね


全230頁なので、いくつか抜粋してご紹介いたします


昨今のテレビCMで「七代目市川染五郎が日本橋を散策」というのが
流れていましたが、この高麗屋を凌ぐ江戸一番の花形役者はご存知の通り


成田屋の市川團十郎であったと言われています
そんな団十郎人気にあやかった商品もあったようで…


「団十郎歯磨(20頁)」や「団十郎煎餅(217頁)」なんてものも
あったようです、現代のアイドルタイアップ商品の草分けかも知れません


「十軒店町」には「加州 御用御茶所 御銘茶問屋 八幡屋(61頁)」が
あったようでして、濃茶・薄茶の茶名なども列記されています


加賀前田家は茶道文化の盛んだったお家柄
この八幡屋が、加賀藩御用達だったのかも知れませんね


これ以外にも御茶問屋は数多かったようで、55頁からずらっと列記されています


さて、少し進むと「本町三丁目」のあたりです
本町の辺りには「丸藤問屋(52頁)」が多かったようで9軒掲載されています


ちなみに丸藤とは加工していない籐を扱う問屋の事で
加工用の素材として販売していたと伝わっています


さて「本石町」には足袋問屋も多かったようで
「大坂足袋商人旅宿(161頁)」なんて記載もあります


江戸中期頃までは当時の製品・加工品の多くは京・大坂などの関西圏で作られ
江戸に運ばれ販売されていました、いわゆる「下りもの」と呼ばれるものです


「下り傘(103~110頁)」「下り素麪問屋(164頁)」「下り蝋問屋(179頁)」などで
加工技術・生産技術の貧弱だった江戸では、開府当初から江戸中期頃まで


「下りもの」を有難がる傾向があったとされています
「下らない」というのも、「下るほどの価値がない」が語源とされていますね


さて「本町三丁目」には、私たちにもなじみのある「和菓子屋」もあったようで
「田安一橋 御用御菓子 鳥飼和泉掾(206頁)」というのも掲載されています
このお店は徳川御三卿である、田安家・一橋家の御用達だったようです


なぜか、御菓子屋だけは官職名である「掾(じょう)」が付いていることが
多く諸説あるようですが、この理由についてはまたあらためて調べてみますね


さあ、いよいよ日本橋の中心地、室町二丁目のあたりまでやってきました


左を見れば「日本橋瀬戸物町」


「紀州尾州御用 御膳海苔所 久保田儀左衛門(194頁)」や
「鰹節 鹽(塩)干肴 伊勢屋伊兵衛(112頁)」が軒を連ねています


伊勢屋伊兵衛の大店は、皆さまの良くご存知の「にんべん」のご先祖さまですね


現在も「にんべん」本社は日本橋にあって、「だし」のおいしさを
新しい形で提供している、古くて新しいお店なのかもしれません


この室町二丁目には蝋問屋もあったようで「大黒屋利兵衛(186頁)」とあり
同じ頁には尾張藩上屋敷のあった市ヶ谷「尾州御蝋燭 御用蝋燭問屋」なども
挿絵付きで紹介されています、なんでも御用達があったことが偲ばれます


さて、右側を見てみると、一段と賑わっている大店が見えてきました
皆さんご存知の越後屋呉服店、現在の「三越本店」ですね


「室町二丁目 現金無掛直 糸物問屋 越後屋(8頁)」と掲載されていて
綿などの「太物」に対して、絹織物を扱う「糸物問屋」と紹介されています


歌川広重「駿河町之図」は御成道から江戸城(絵図の左)方向を見たものとされ


富士山がきれいに描かれていますね


広重と言えば「江戸名所 日本橋雪晴の朝」も有名ですが


私たちも日本橋を渡って、進んでまいりましょう


ここからは「築地八町堀日本橋南絵図」に持ち換えて進んでまいりましょう


江戸時代の日本橋通一丁目はこんな感じだったようです


さて「日本橋通二丁目」にやってまいりました


ここには、現在の「永谷園」の創始者である永谷宗七郎が開発した煎茶を販売
財を成した「諸国銘茶問屋 山本嘉兵衛(59頁)」がありますね


お気づきかも知れませんが「山本山」の発祥の地です


かつてCMでは「江戸の味と香りを守り続けて三百年」と謳っていましたが
この日本橋通二丁目で産声を上げたのは「元禄3(1690)年4月」


今から328年前、「百年企業」という言葉はよく聞きますが、なんと三百年企業
ちなみに、現在の会長・社長も山本さん、歴史を感じさせますね


さて、少し歩きつかれたので、日本一の銘茶と謳って販売している煎茶を
ここでいただいて、ひと休みいたしましょう


今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました!

by dairoku-higashi | 2018-01-05 20:59 | 続・江戸紀行
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