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江戸紀行/幕府を支えた旗本八万騎と御家人たち

皆さまこんにちは、広報委員の木村でございます


8月も後半からは涼しい日が続いていますね
このまま、秋に向かうのか、夏が盛り返すのか…


いずれにしても体調管理に気を付けたい時期ですね


ちよっと気が早いですが「秋の夜長」
歴史小説を読むのにも、時代劇映画を見るのにもぴったりですね


地上波TVでは、時代劇が少なくなりさびしい限りですが
そのぶんBS・CS放送では過去の時代劇名作が花ざかり


拙筆でも度々ご登場いただいている、池波正太郎「鬼平犯科帳」
柴田錬三郎「御家人斬九郎」や佐々木味津三「旗本退屈男」


若き日の渡辺謙さんの演技など、今から見ても本当に秀逸ですね


さて今月は、そんな時代劇の主役たち「旗本」と「御家人」
その違いや暮らしぶりなど、ご一緒に見てまいりましょう


「将軍直属の家来」という意味では「譜代大名」も入りますが
1万石以上の譜代大名を除いたのを「御直参」と呼んでいました


「御直参」は先ほどからお話ししている旗本、御家人を中心として
高家・御三卿付き家臣なども含まれていました


「御三卿付き家臣?」


そう思われた人も、いらっしゃるかも知れませんが…
「御三卿」の大きな特徴の一つが、この家臣団編成です


徳川吉宗・家重期に創設された「御三卿」
御三家とは別に、将軍家の血筋が絶えた時の備え、というのが目的


石高は10万石でしたが、「御三家」や他の大名家と違って
独自の「藩」や「家臣団」を持たない特異な存在だったと言われています


全国各地に代官所がある領地が点在、家臣団も御直参からの出向


そのため御三家は「尾張藩」「紀州藩」「水戸藩」とも呼ばれましたが
「御三卿」は「○○藩」と呼ばれていませんでしたね


「固有の藩(国元)」も「城」も持たず、「家臣団」も幕府からの出向
当主といえども他家へ養子に行ったりと異例づくめの「御三卿」


国元や城を持たないため、もちろん参勤交代などもなく
江戸城「一ッ橋門」「清水門」「田安門」そばの屋敷に暮らしていました


ちなみに清水家、田安家の屋敷跡は北の丸公園・日本武道館に
一橋家は一ツ橋と神田橋の間、現在の気象庁のあたりに屋敷がありました


話が脇にそれましたが、旗本と御家人の話に戻しましょう


御直参のなかで、将軍に謁見できる御目見得以上を「旗本」
御目見得以下を「御家人」と呼んでいました


石高は、旗本では「3,000石以上の大身」もいれば
「切米100俵(約100石)くらいの小身」まで様々だったようです


ところで、大名家の家臣では、もっと大身も多くいましたが
家格では将軍御直参の旗本の方が上、と考えられていたらしく


将軍から見て「家来(大名)の家来」にあたる大名家家臣は「陪臣」
ひどい言い方ですと「又者」などと呼んでいたようです


面白い話ですと「坂の上の雲」にも出てきますが


明治に入り、主人公の「秋山兄弟(伊予松山藩家臣)」が東京で下宿
下宿先は旗本家だったため、当初は「又者」といって蔑んでいました


明治初期の段階では、やはり「将軍御直参」のプライドが濃厚に残り
「又者」が仕切る明治新政府には、複雑な思いがあったのかも知れません


さて、旗本は約5,000名ほどいたとされ、軍役規定により総兵力は約7万


皆さんよくご存知の「旗本八万騎」の呼称はここから来ているようです
ちなみに御家人は約18,000名ほどいたとされています


ここからは「旗本」「御家人」の収入について、見てまいりましょう


旗本の約4割は「知行取」


「知行取」とは「知行地(領地)」を将軍から与えられ、直接統治する形で
代官所や陣屋を置いて、小規模ながら大名と同じ「領主」でした
知行100石あたり、徴収できる年貢米は100俵と定められていたようです


それに対して旗本の6割と御家人のほとんどは「蔵米取」
幕府の御蔵から俸禄が米で支給される、いわばサラリーマン的な感じでした


支給される米は「切米」と「扶持米」の2種類があり
「切米」は毎年2・5・10月に、手取り「○俵」で支給されていました


ところで、時代劇でよく出てくる「札差」という職業


盗賊に狙われたり、悪徳商人として、悪役として描かれることが多くて
いまいち何をやっているか分からない、という感じですが
この「切米」「扶持米」と現金を交換する仲介業の人たちでした


ちなみに幕府での1俵は3斗5升と定められていたようで
米1斗を約15キロで換算すると、当時の1俵は52.5キロくらいでしょうか


「扶持米」は、1日玄米5合を基に計算して、年間1石8斗(約5俵)を
「○人扶持」という形で支給されていました


御家人である、町奉行所同心の基本給は「三十俵二人扶持」


米価は当然のことながら一定ではないので、換算するのが難しいですが
当時の名目換算レート「米1石=金1両」とすれば
 米1石 = 米10斗  =1両
 米1俵 = 米 3斗5升 =0.35両(28,000~17,500円くらい)


「1両=8万円(江戸中期)」~「1両=5万円(江戸後記)」で換算すると
同心の基本給は112万円~70万円というところでしょうか


現代、お米もピンきりですが、10キロ3,000~5,000円くらいですので
間を取って4,000円で換算すると、米1俵は21,000円くらい


そう考えると、江戸時代は「米中心経済」だったからなのか
江戸中期頃までは、お米は現代よりも価値が高かったのかも知れません


さて、同心の基本給は112万円、当然これだけでは…
ということで、他に手当や褒美が出たのは言うまでもありませんね


同じ御家人でも、町奉行所の与力(同心の上司)はどうだったかというと
「50騎(人)に対し1万石」が支給されていたそうで「1人あたり200石(俵)」


与力の年収は560万円~350万円くらいといったところでしょうか


ちなみに、勝海舟は旗本でしたが、家禄は50俵と言われていて
彼の生きた幕末の時期であれば、年収は約87万円くらい


ドラマなどでも描かれますが、生活はかなり苦しかったようです
ところで、他の旗本はどうだったのでしょうか?


架空の人物ですが、旗本退屈男・早乙女主水之助は1,200石の設定
総年収は3,360万円~2,100万円くらい


あら随分リッチでは、と思われるかもしれませんが…


家来・女中(設定では7人くらい)の経費や家屋敷の維持費
旗本としての交際費とかも全部込みですので、はたしてどうだったか


もっとシビアなのは鬼平犯科帳の長谷川平蔵かも知れません


石高は400石、総収入は1,120万円~700万円ですが
ドラマでも活躍する与力・同心の面倒を見ねばならず…


もちろん役職手当やそれに似た「足高の制」が吉宗以降は設けられましたが
ドラマでも描かれますが、暮らし向きは決して楽ではなかったようです


そんな中でも例外はあったようで、一例としては長崎奉行職


在任期間中には4,400俵近い役料(経費)が支給されたほか
舶来品を原価で購入する特典や商人からの献金などの役得があったとされ


もろもろの経費を差し引いても、2,000両近くは手元に残るとされ
俗に「長崎奉行二千両」と言われていたようです


就任期間(だいたい5年くらい)だけで「1億6,000万円~1億円の役得」


現代でいえば、手当などの多かった少し前の海外僻地勤務みたいなもの
旗本にとっては、そんな感じに見えていたのかも知れません


さて、そんな旗本・御家人、幕府の役職につき出世を目指しましたが
「え、そんな役職もあったの?」なんて、面白い役職も結構ありました


紙幅に限りもありますので、そのお話はまた来月にいたしますね


今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました
また来月、お会いいたしましょう♪
by dairoku-higashi | 2015-09-06 14:52 | 江戸紀行
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