続・江戸紀行 江戸を旅する~品川編~

皆さま、こんにちは
副部長の木村でございます


暑さ寒さも彼岸まで、と古くから言われておりますが
今年は10月朔日が酷暑、本当にになかなか秋にならない感じでしたが


ようやく朝夕は涼しくなってまいりましたね
おかわりございませんでしょうか


前にも書きましたが「朔日」とは「晦日」の反対
毎月の初め「一日(ついたち))のことですね


なかでも八月一日は「八朔」と言われて、祝日だったそうです


小田原平定の後、徳川家康が江戸に入ったのが、天正18(1590)年8月1日
江戸幕府では元旦に次ぐ祝日とされていたとのことです


さて、今月も引き続き、芝高輪辺絵図を片手に歩いてまいりましょう
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286663?tocOpened=1


今いるのは絵図の真ん中、袖ヶ浦と書かれている左上のあたり
海沿いの東海道沿い、薩摩屋敷の左の柘榴坂を降りてきたところ


現在の品川駅高輪口の前あたりです
今、品川駅の建っているあたりは一面の海だったようです


向かって左、御殿山の方向に足を進めてまいりましょう


東海道一つ目の宿場町、品川宿が見えてまいりました
現在であれば通勤圏ですらないですが、当時は東海道の宿場町でした


とは言いましても、日本橋を出てわずか8キロくらいの短い距離
休むことはあっても、江戸を出た旅人で泊まる人は少なかったと思われ


実際に「東海道中膝栗毛」でおなじみの弥次郎兵衛さんと喜多八さんも
最初の宿場はスキップして、川崎宿で泊まったと伝わっています


川崎の翌日は藤沢、その翌日は小田原と、3日間掛けていたのです
東海道線で1時間半になった現代、本当に便利な時代になりましたね


さて、戻りまして品川宿のお話
もちろん宿場ですから、江戸入りする旅人が使うことも多かったですし


実際に人間以外でも、動物好きだった八代将軍吉宗に献上された象も
享保13(1728)年、江戸入り前に品川宿で一泊していたと伝わっています


ところで五街道、とりわけ主要道であった
東海道・中山道・日光道中・甲州道中の最初の宿場は江戸四宿と呼ばれ
大変に賑わっていたと伝えられています


それぞれ、品川・板橋・千住・内藤新宿の四宿ですね


公許の遊郭が現在の台東区の北のはずれにあった新吉原のみの江戸時代
宿場町であると同時に、四宿は色街としての側面もあったようです


以前も少し書きましたが、公許の新吉原以外の遊所は「岡場所」と呼ばれ
(岡とは、他という意味もあったからですね)


「キタ」の新吉原に対して
「ミナミ」と呼ばれたのが深川、そして品川宿でした


宿場での岡場所は、遊女を飯盛り女という形にした食売旅籠が一般的で
普通の旅籠は「平旅籠」と呼ばれていたとされています


特に品川・板橋・千住・内藤新宿の四宿は、平旅籠より食売旅籠が
多かったようで、品川には1,000人以上の飯盛り女がいたそうです


ただ風紀に厳しかった江戸時代、改革・倹約の度に岡場所は標的とされ
内藤新宿に至っては一度廃絶されてしまう憂き目にもあいました


さて、そんな品川宿で、ひときわ異彩を放っていたのが
「土蔵相模」が見えてきました


幕末の歴史がお好きな方はよくご存知、勤皇の志士の拠点のひとつ
https://shinagawa-kanko.or.jp/spot/dozousagamiato/


なまこ塀をめぐらせた食売旅籠「相模屋」ですね


御殿山の英国公使館焼討ち事件を起こした高杉晋作たち長州藩の志士は
焼け落ちる英国公使館をこの土蔵相模から眺めていたとされています


今の旧東海道品川宿から御殿山はなかなか望めませんが
江戸の頃はこんな感じで広がっていたのかもしれませんね
http://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail392.html?sights=gotenyama


江戸の桜の名所、御殿山の近くまでまいりました
せっかくの宿場なので、お茶でもいただいてひと休み


今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました!

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# by dairoku-higashi | 2018-10-06 11:45 | 続・江戸紀行

続・江戸紀行 江戸を旅する~高輪編~

皆さま、こんにちは
副部長の木村でございます


今年は本当に台風が多くて、秋の台風シーズン前から大変な感じですが
皆さま、いかがお過ごしでしょうか


今月も引き続き、芝高輪辺絵図を片手に歩いてまいりましょう


今いるのは絵図の真ん中、海沿いの東海道沿いにある「■印が2つある地点」
江戸の出入口である大木戸の一つ、「高輪大木戸」のあたりです


明治5(1872)年9月12日(旧暦/新暦だと10月14日)
日本で初めて新橋・横浜間に開業した鉄道、いわゆる「陸蒸気」は


東海道沿いの海岸線を走っていたと伝わっていて
後年に作られた鉄道唱歌「第三番 品川編」でもこのように歌われています

 ♪~ 窓より近く品川の
    台場も見えて波白く
    海のあなたにうすがすむ
    山は上総か房州か


海沿いを東海道と鉄道が走る、長閑な感じが伝わってきますね
江戸の昔もこんな感じだったようです


さて車町の先、右に(絵図では上方向)曲がる坂がありまして、お寺があります
先ほどの鉄道唱歌「第二番 高輪編」でも歌われている、あのお寺ですね

 ♪~ 右は高輪泉岳寺
    四十七士の墓どころ
    雪は消えても消えのこる
    名は千載の後までも


忠臣蔵、赤穂浪士で有名な赤穂浅野家ゆかりの「泉岳寺」です


泉岳寺由緒によれば、元々外桜田(現在の桜田門外)にあった泉岳寺
寛永18(1641)年大火で高輪に移転、復興の際に助力した大名五家の一つが浅野家


そんなゆかりがあったようですね


前にもご案内しましたが、元禄14(1701)年3月14日の「松の廊下刃傷事件」で
即日切腹した浅野内匠頭は家臣によって、ここ泉岳寺に葬られました


また、元禄15(1703)年12月14日の「吉良邸討入り」を果たした大石内蔵助ら
四十七士は大名家預かりの後に切腹、同じくこの泉岳寺に葬られました


道は現代も泉岳寺の前で右に大きく曲がっていますが、坂を登っていきましょう


天嶽院があるあたり、現在はNHK交響楽団が建っていますが
そのお隣の願生寺は現在にもその姿を留めています


道は左の方に曲がって、さらに坂を登っていきます
登りきったところの交差点、現在の「伊皿子」の交差点のあたりです


伊皿子の由来には諸説あるようですが、江戸初期に亡命してきた明国人が
住んでいて、夷(えびす)が転化して名付けられたとも言われています


まっすぐに行くと下り坂、魚籃坂になり現在の古川橋に至りますが
この伊皿子を左に曲がって、高輪方面に進んでまいりましょう


港区の地名由来によると「高輪」とは高縄手道の略語で、高台のまっすぐな道
恐らく今歩いているこの道が高台にあるまっすぐな道、地名の由来のようですね


左にある保安寺、證誠寺は現在にもその姿を残していて、右側には高輪皇族邸
元は明治の皇室高輪御殿、一時東宮御所にもなり、その後高松宮邸となった地です


来年ご退位あそばされる今上陛下のお住まいになる予定の御邸です
江戸の昔は細川越中守の広大な下屋敷があったと伝わっています


先ほどの赤穂浪士、討入り後は四つの大名家にお預かりとなりました


大石内蔵助以下十六名は肥後細川藩にお預けとなり、切腹までの日を過ごしました
細川屋敷は現在の高輪皇族邸、港区立高松小学校に及ぶ広大なお屋敷


尚武の家である細川家では浪士を武士の鏡として篤く遇したと伝わっています


さて、道を進んでいきましょう
現在の高輪警察署の交差点のあたりまでまいりました


高野寺、現在の高野山東京別院ですね


高野山東京別院縁起によれば、慶長年間に高野山の江戸在番所として開創
延宝元(1673)年「高野山江戸在番所高野寺」として建立されたと伝わっています


高野寺の裏には「東禅寺」、江戸末期にイギリス公使館が置かれたお寺で
二度に亙る公使館襲撃、東禅寺事件の舞台となった場所ですね


現在、大使館などの外国公館は港区近辺に多く存在していますが


元々はこのようなお寺を江戸末期に公使館などに使った後
明治以降近隣の大名屋敷などに建てたからなのかも知れませんね


さらに進んでいくと、信州飯山藩本多豊後守の下屋敷が見えてまいりました


この土地は明治以後、日露戦争の満州軍総司令官大山巌元帥の邸宅の後
変遷を経て、味の素の創業者、鈴木三郎助の邸宅となった地です


戦後、邸宅は味の素記念館として使われていましたが
近年建て直され、味の素グループの研修センターとなっています


玄関の門はそのまま残っていて、食文化に関する図書館や博物館もあるそうで
皆さまも一度行かれてみてはいかがでしょうか


この本多豊後守邸手前の道路はクランクもそのままに現在に残っていて
高輪プリンスホテルの中を通って、さくら坂として東海道に至っています


その先にある「薩州殿」、薩摩藩島津家のお屋敷ですね
現在の高輪プリンスホテル、新高輪プリンスホテルが建っているあたり


明治以降は北白川宮邸、竹田宮邸が建てられて、戦後は衆議院議員宿舎もあった所
竹田宮邸は高輪プリンスホテル貴賓館として、戦前の雰囲気を今に伝えています


突き当りを左に折れると、下り坂になっています
品川駅高輪口にまっすぐ下りる「柘榴(ざくろ)坂」ですね


江戸前の海、袖ケ浦が眼前に広がっています
先ほどもご紹介しましたが、こんな感じだったのでしょうか


海を眺めつつこのあたりで、ちょっとひと休みいたしましょう
今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました!

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# by dairoku-higashi | 2018-09-04 14:02 | 続・江戸紀行

行事感想文/ハーバード大生をはじめ世界の学生に 茶の湯を伝える体験行事@茶道会館 (2018年8月12日)

会員 R.S様(2階席担当)

8月12日に開催された“ハーバード大生をはじめ世界の学生に茶の湯を伝える体験行事に、呈茶席において「お運びとお茶の頂き方手ほどき」のスタッフとして参加させていただきました。この行事を皮切りに日本各地で研修の旅をなさる学生の方々にとって今回も素敵な始まり、そして思い出になるようにとの思いを込めてお迎えをさせて頂きました。

私としましては、青年部の一員として2回目の茶会参加になり、初めてのお運び役となりました。この茶会で初めてお着物での参加となり、喜びと緊張が入り混じる中、従事することとなりました。

この行事への海外・国内学生側の参加者は約80名ほど。今年が6度目の開催です。

呈茶席では、学生の方々は2グループに分かれ40名ずつお迎えすることとなり、お点前と頂き方の説明をされる青年部スタッフを囲むように座られました。当茶会が、来日2日目の初めてのイベントとあってか皆さん各々の席につかれた際は緊張した面持ちでいらっしゃいましたが、お点前と頂き方の説明が始まると自然と笑顔が見えるようになり和やかな雰囲気の中、交流を楽しまれているようでした。

その後の質疑応答タイムでは、茶道に関して多岐にわたる質問が上がりました。その中でも私も興味を惹かれた質問が、「なぜお茶は、3回半で飲まなくてはならないのか。」というものでした。その質問に対して自分の納得のいく答えができるように、私も茶道に携わる者としてもっと学ばなくてはと思わされました。

その質問の他にも興味が惹かれる質問が多く上がり、これからも茶の道を学ぶ者として大いに刺激を受けました。

別席での梅花亭デモンストレーションと茶筅ふり体験席も貴重な体験ができたとのこと。

行事をご準備いただいた役員の皆様ならびに関係者の皆様、貴重な時間をいただき誠にありがとうございました。今から来年の開催が、待ち遠しいです。

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会員 W.S(3階席担当)

茶筅振り体験席のスタッフとして参加させていただきました。お茶室の説明を聞き、立礼のデモンストレーションを見た後にペアの相手にお茶を点てるという流れで、学生68名のグループに2名の青年部スタッフが同席し、お茶の点て方、お菓子のいただき方を説明しました。来日直後の海外の学生と日本人の大学生は出会ったばかりで、最初はお互いに緊張している様子でしたが、一緒にお茶を点てたり飲んでいるうちに笑顔が広がり、一碗を介して打ち解けていく様子が感じられました。美味しい時の笑顔はもちろんですが、美味しいと言われた時のホッとしたような嬉しそうな笑顔が印象的でした。

お茶室のテーマは「ボーダレス」で、ナプキンリングを蓋置にする等、デモンストレーションでは各国からの品々がお茶道具として使われていました。学生の皆さんには様々な違いを超えて交流を深め、国境を越えて活躍して欲しいと思いました。

皆さんと楽しく過ごし、また色々な気づきもあり大変勉強になりました。貴重な経験をさせていただき、感謝しております。

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# by dairoku-higashi | 2018-09-04 14:01 | 2018年行事報告

続・江戸紀行 江戸を旅する ~田町編~江戸から東京に その第一歩の地を訪ねて

皆さま、こんにちは
副部長の木村でございます


本当に酷暑と申しますか、凄まじい熱い空気に覆われていますが
皆さま、お健やかにお過ごしでしょうか


今月も芝高輪辺絵図を片手に歩いてまいりましょう


今いるのは絵図の真ん中やや右、三田四丁目のあたりです
三河挙母(ころも)藩、内藤丹波守の上屋敷があるあたりですね


挙母は現在の愛知県豊田市、トヨタの本拠地となっているところですが
今いる四丁目のお隣、三田三丁目にはトヨタ関連のオフィスが入ったビルが…


トヨタが自動車産業参入時、当時義務付けられていたホテルがあったそうで
この三田という町、挙母・豊田という地となにやら縁があるのかも知れません


さて、大通りを三田二丁目のあたりまでやってきました
今の国道1号線、真正面に東京タワーがそびえて見えるあたりですね


この切絵図が書かれたのは、左下にも書いてありますが「嘉永三(1851)年」
今年の大河ドラマ「西郷どん」のもう一人の主役、島津斉彬が藩主となる前年


なんでそんなことを書いたかと言えば、薩摩藩島津家江戸藩邸があるからです
「丸に十文字」の家紋があるのが、島津家江戸屋敷ですね


数少ない源氏直系にして、薩摩・大隅・日向七十七万石の太守である島津家


ただ、幕末の名君と言われた島津斉彬公も藩主就任にはいろいろと障害があり
いろいろなドラマでも、そして「西郷どん」でも描かれていましたね


切絵図では「薩摩宰相殿」と書かれています


宰相とは武家官職の一つである参議の別称で
斉彬の父である島津斉興は従三位参議に任じられていました


切絵図での表記は結構忠実で、斉彬就任後の安政年間の切絵図には
同じ屋敷地には「丸十の紋章」と「松平修理太夫」と表記されています


島津氏は松平性を許されていたため、松平と斉彬の官職名を入れている感じです


そんな薩摩屋敷、現代でいえば東京事務所というよりは大使館に近い存在で
幕府御公儀(町奉行や火盗改めなど)の権力も行使できない、治外法権の場でした


「西郷どん」ではこれから描かれると思いますが、そんな薩摩屋敷
幕末・戊辰の戦乱のきっかけとなった地でもありました


討幕の密勅に対して、徳川慶喜は大政奉還という奇策で対応
武力討幕を目指していた薩摩・長州勢力は討幕の大義名分を失ってしまいます


そんな折、薩摩藩はこの江戸屋敷を拠点として多数の浪士を集め
江戸市中で襲撃などのテロ活動を実施、幕府側を挑発していったそうです


まさに江戸時代が終わる慶応3(1868)年十二月、ついに幕府側が対抗を決意
この薩摩屋敷を焼き討ちして、これが後の戊辰の戦いにつながっていきました


わずか15年ほど前までは外様の雄として、開明派幕閣と一緒に幕政を改革した
島津斉彬の屋敷が、討幕の拠点となるとは、なんとも皮肉な感じがいたしますね


斉彬の登場、幕政改革と斉彬の死去、開国と安政の大獄、桜田門外の変、禁門の変
四ヵ国艦隊による下関砲撃、長州征伐と薩英戦争、第二次長州征伐、そして薩長同盟と


この間の出来事は、わずか15年の間に起こったとは思えないボリュームですね


そんな幕末のもう一つの舞台が、三田にはあります
そう皆さんもご存知の「西郷・勝の江戸開城談判」が行われた薩摩藩邸です


切絵図の東西南北と書いてある右上に「●印と薩州」と書いてある薩摩藩蔵屋敷
こちらが江戸無血開城談判の舞台となった地です


先ほどの薩摩藩邸焼き討ちの半月後、慶應4・明治元(1868)年正月
鳥羽・伏見の戦いで激突した幕府軍と薩長軍、薩長軍が勝利して東上を開始します


そして、いよいよ三月には明治新政府の討伐軍は池上本門寺を本営として進
江戸攻撃を企図し、三月十五日を江戸総攻撃の期日に定めました


その江戸総攻撃を前にして、十三日と十四日


東征大総督府参謀に任命され、池上本門寺を本営にしていた西郷隆盛(南洲)と
幕府側の実権を握る徳川家陸軍総裁の勝海舟が薩摩藩邸で会談


そして百万都市江戸をそのまま守る、江戸開城が決まりました


百万都市江戸は東京となり、その後首都となったのは前にもお伝えした通りです


薩摩藩蔵屋敷の跡は、現在の三菱自動車本社ビルが建っています
今でこそ海からは遠いですが、蔵屋敷の前は江戸前の海が広がっていたのですね


それでは東海道を西へ、左の方へ進んでまいりましょう


高札場があった札辻(現在の札ノ辻交差点)を過ぎて少し行くと車町の手前
「■印が2つある地点」が見えてきました


そう江戸の出入口である大木戸の一つ、「高輪大木戸」の跡ですね


ここからは江戸御府内の外、江戸市中はここまでとされていました
また伊能忠敬の日本地図測量の起点となったとも伝わっています


今月も歴史のお話が多くなりましたが、左に広がる江戸前の海を見つつ
このあたりで、ちょっとひと休みいたしましょう


今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました!

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# by dairoku-higashi | 2018-08-05 20:35 | 続・江戸紀行

行事感想文/支部総会・講演会(親支部・青年部合同)@明治記念館 (2018年7月14日)

役員I様


先日、初めて支部の総会に参加してきました。

今年は梅雨明けが早かったせいか、7月中旬なのに早朝から30℃を超える

暑さ。

そんな中多くの方が会場に足を運び、明治記念館の会場はほぼ満席。

いつもは委任状のみの提出で今回が初参加だった私は会員の皆さんの熱意に

びっくりさせられました。

総会は幹事長先生のご挨拶からはじまりご来賓の方々のご紹介、

今年卒寿傘寿を迎えられる方々の表彰、各種報告を経て終了。

傘寿表彰では青年部も大変お世話になっている増田先生のご挨拶もあり、

はつらつとした先生のお姿に元気を頂き私たちもまだまだこれから日々

精進していかなくてはと改めて思いました。

総会後の石田雅彦先生による講演では千利休の秘伝書として伝わった

『南方録』について色々楽しいお話が伺えました。

中でも最終巻“滅後”に関連付けてお話のあった暁の茶事の説明が、

実際今年頭に先生が開かれた茶事の写真をスライドで拝見しながらお話を

聞けて、未だ暁の茶事の経験のない私にはとても興味深く、いつか機会が

ありましたら是非経験してみたいなと思いました。


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# by dairoku-higashi | 2018-08-05 20:27 | 2018年行事報告