月刊「せせらぎ」電子版 -Vol.57-

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 月刊「せせらぎ」電子版 -Vol.57

     2018/02/06 配信

  裏千家淡交会東京第六東青年部

       広報担当

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

東京第六東青年部の皆様

いつも青年部活動にご参加、ご協力

誠に有難うございます。

先週は雪が舞う日もあり、寒い日が

続いております。外出の際は交通機関

が心配になりますが、それでも雪景色は

何度見ても心を搏たれます。

では、20182月のセタロクを

お届けします。今回号より内容を

さらにパワーアップしてお届けします。

ぜひご一読ください。

━「せせらぎ」電子版 Vol.57 ━━━

 ■1■ 役員リレーコラム

 ■2■ 行事のお知らせ

 ■3■ 「今月の禅語」

 ■4■ 「続・江戸紀行」

 ■5■ 美術館情報

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■1■ 役員リレーコラム

     広報:水野 真紀

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

立春も過ぎ、暦の上では春の始まり。

2月は一番寒い時期とはいえ、徐々に

訪れる春らしさを感じる機会が増えて

来ます。

さて、本年度最初の青年部行事は

『お茶碗の絵付け体験』です。プロの

色絵作家の先生が書いて下さった下絵に

自分の好きな色を塗る作業。春なので

きれいな色が多くなるのでしょうか。

色とりどり、個性豊かなお茶碗が沢山

見られそうで、今から楽しみです。

次回は、広報担当の金田杏里さんです!

よろしくお願いいたします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■2■ 行事のお知らせ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【行事予定】

317()

お茶碗の絵付け体験

@セシオン杉並(新高円寺、東高円寺駅

より徒歩5分)

☆お申込み受付中です。ぜひご参加

ください!

512()

大宮八幡宮献茶式

@杉並区 大宮八幡宮

6

ボランティア呈茶

@成城ケアセンター

714()

支部総会・講演会

(親支部・青年部合同)

8

ハーバード大生をはじめ世界の

学生に茶の湯を伝える体験行事

107()予定

雑居まつり

@世田谷区 羽根木公園

雑居まつりへの参加は中止と

なりました

1116(),17()

関東第一ブロック

創立50周年記念大会

(関東第一ブロック主催行事)

ぜひご予定おきください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■3■ 「今月の禅語」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2月の禅語】

「銀盌裏盛雪」

ーぎんわんりにゆきをもるー

白銀の盌に純白な雪を盛ったとすれば、

盌と雪とはそれぞれ別個の二つのもの

であるが、ともに白いためにその見分け

がつきがたく、同じ一つのもののように

見える。しかし全く同じものかといえば

盌は盌、雪は雪でそれぞれ独立した二つ

の別個のものである。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■4■ 続・江戸紀行 木村副部長

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

続・江戸紀行 江戸を旅する

  ~銀座・築地編~

▼続きはこちらから▼

日本橋から京橋を抜けて、木挽町へ

http://setaroku.exblog.jp/29465276/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■5■ 美術館情報

今月より、茶道にまつわる美術館や

博物館の情報をお届けします!

休日のお出かけ先にいかがでしょうか。

①戸栗美術館

@井の頭線神泉駅より徒歩5

「古伊万里にみるうわぐすり展」

釉薬の色による装飾に注目し、古伊万里

に施された4色の釉薬の魅力を追求。伊

万里焼を中心に約80点を紹介

会期~3/21(休館日:月曜日)

②五島美術館

@大井町線上野毛駅より徒歩5

「茶道具取合せ展」

重要美術品 唐物文琳茶入 銘本能寺を

はじめ、松平不昧所持の名物茶道具を

中心に道具の取合せを展観

会期:~2/18(休館日:月曜日)

③永青文庫

@有楽町線江戸川駅より徒歩15

「細川家と中国陶磁 名品でたどる

中国のやきもの」

三彩宝相華紋三足盤、白釉黒花牡丹文瓶

など細川家が代々愛でた約50点によって

中国陶磁史の流れをたどる

会期:2/104/11(休館日:月曜日)

④畠山記念館

@都営浅草線高輪台駅より徒歩5

「茶懐石のうつわ」

鼠志野蓮文平鉢(桃山時代)、色絵梅鶯

文八角鉢(江戸時代)など【もてなしの

うつわ】の魅力を紹介

会期:~3/18(休館日:月曜日)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

月刊「せせらぎ」電子版

過去のメルマガはコチラから↓

http://setaroku.exblog.jp/i7/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

月刊「せせらぎ」電子版-Vol.57

毎月6日配信

茶道裏千家淡交会 東京第六東青年部

部長 大聖 千鶴

広報 花村・金田・水野・名郷

♪♪ご意見はこちらまで↓♪♪

tokyo6eastpress@googlegroups.com

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


[PR]
# by dairoku-higashi | 2018-02-06 08:30 | メルマガバックナンバー

続・江戸紀行 江戸を旅する~銀座・築地編~

皆さま、こんにちは
副部長の木村でございます


東京も大雪に見舞われましたが、皆さまおかわりはないでしょうか


近年発見されて話題となった喜多川歌麿の「深川の雪」


江戸は今よりももっと寒かったのかも知れませんね


さて今月も「築地八町堀日本橋南絵図」 を携えて進んでまいりましょう


今いるのは、地図の右上「日本橋」を渡ったところ、 日本橋通一丁目のあたり
現在の高島屋、コレド日本橋のあたりですね


このあたりは「南油丁(町)」「箱屋丁」「檜物丁」「南塗師丁」 など
町名がなんなとく連想できそうな街並みが続いていますね


右上の角は現在にも地名の残る「呉服橋」、見ると「呉服丁」 の前なのですね
呉服橋御門の中には、北町奉行所があったと伝わっています


さて、日本橋通三丁目の交差点まで来ました、 現在は八重洲通りとの交差点です


現在は右を見れば、東京駅八重洲口の威容が広がっていますが
江戸の当時は外堀には橋はなく、 外堀の向こうは大名屋敷が立ち並んでいました


もっとも、戦後に埋め立てられるまで外堀は存在していたため
戦後すぐの写真には八重洲橋を経て切符を買う人の風景なども記録 されています


家康の外交顧問であるイギリス人「ヤン・ヨーステン」が訛って
地名の由来とされている「八重洲」、 当時は丸の内とは隔てられていたのですね


少し行くと現在の京橋の一帯、当時は「南伝馬町」 と呼ばれていたあたりです


幕府や諸藩の「伝馬(伝令や輸送)」 の役務負担をしていた伝馬役が暮らしていた町
江戸では、現代にも名の残る「大伝馬町」とこの「南伝馬町」 が日本各地とを


牢屋敷でも有名な「小伝馬町」 かせ江戸府内の伝馬を担当していたとされています


二丁目を過ぎると現在の京橋二丁目、 明治屋ストアがあるあたりですね
三丁目の角には「具足町」なんとのもあります、 鎧職人がいたのかも知れません


その三丁目の角、右(上方向)を見れば鍛冶橋御門、左(下方向) を見れば八丁堀
現在の鍛冶橋通りで、地下には京葉線が走っているところですね


左(下方向)には、運河(現在の昭和通り) を弾正橋で渡ったあたりに
「本八丁堀」という町が四丁目まで広がっています


皆さまもご存知の八丁堀の旦那衆、町奉行所の与力・ 同心達の暮らす街です


彼らはここに暮らして、先ほどの北町奉行所と、 鍛冶橋門内の南町奉行所で
それぞれ勤務していたとされ、 川一つ隔てたところに官舎がある感じですね


前にもお話ししましたが、北町・ 南町の奉行所は管轄エリアではなく
月番勤務で交代していたため、 その距離は非常に近くに位置していました


 江戸紀行/「シツケ糸のような」江戸の行政


さて四丁目を超えると橋が架かっています、現在にも残る「京橋」 ですね


 江戸名所百景「京橋竹がし」


炭町の川沿いに「竹かし(竹河岸)」、 竹の集積地があったされている場所で
昨今も「京橋竹河岸通り」と、通りが命名されたようですね


「京橋」を渡ると「新両替丁」、 現在の銀座一丁目から始まる銀座一帯です


幕府の銀貨鋳造所「銀座」があった現在の銀座一帯、 新両替丁と言われていました
ただ「銀座役人」は権限も多く不祥事も続いたため、 この地図の書かれた嘉永年間


現在の蛎殻町あたりに移転させられていて、 銀座役所はなかったようです


いよいよ新両替町四丁目あたり、 現在の銀座四丁目交差点までまいりました
現在の「銀座三越」の角を左(下方向)に曲がってまいりましょう


下方向に進むと「新橋(現在の新橋とは異なります)」を渡ると「 木挽町」
現代は歌舞伎の殿堂である「歌舞伎座」のあるあたり


現代の歌舞伎座の櫓にも定紋とともに
「木挽町 きゃうげんづくし 歌舞伎座」とありますね


江戸三座の流れをくむ「歌舞伎座」
江戸三座のお話などもと思いましたが、 それはまた来月にいたしましょう


このあたりでちょっとひと休み
今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました!

[PR]
# by dairoku-higashi | 2018-02-04 19:48 | 続・江戸紀行

月刊「せせらぎ」電子版 -Vol.56-

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 月刊「せせらぎ」電子版 -Vol.56

     2018/01/06 配信

  裏千家淡交会東京第六東青年部

       広報担当

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

東京第六東青年部の皆様

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

東京第六東青年部広報担当でございます。

本年最初のセタロク、どうぞお楽しみ下さい。

━「せせらぎ」電子版 Vol.56 ━━━

 ■1■ 役員リレーコラム

 ■2■ 行事のお知らせ

 ■3■ 「今月の禅語」

 ■4■ 「続・江戸紀行」

 ■5■ 編集後記

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■1■ 役員リレーコラム

     部長:大聖千鶴

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

明けましておめでとうございます。

皆様におかれましてはお健やかに

新年をお迎えのこととお慶び申し上げ

ます。

昨年は多くの方に青年部行事へ

ご参加いただき、楽しくとても充実

した1年となりましたこと心より感謝

申し上げます。今年も学びある楽しい

時間をお過ごしいただけるような行事

を開催できたらと思っております。

少しでも興味のある行事がございまし

たら、ぜひご参加頂けたら嬉しいです。

皆さまと青年部でご一緒できることを

楽しみにしております。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

次回は広報担当の水野真紀さん、

お願いします!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■2■ 行事のお知らせ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【行事予定】

317()

茶碗の絵付け体験

詳細は別途ご案内いたします。

512()

大宮八幡宮献茶式

@杉並区 大宮八幡宮

8

ハーバード大生をはじめ世界の

学生に茶の湯を伝える体験行事

107()予定

雑居まつり

@世田谷区 羽根木公園

1116(),17()

ブロック50周年記念大会

(関東第一ブロック主催行事)

ぜひご予定おきください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■3■ 「今月の禅語」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1月の禅語】

「彩鳳舞丹霄」

ーさいほうたんしょうにまうー

五色の羽毛を持つ一双の鳳凰が朝焼け・

夕焼けなどの赤い空を舞っている様子。

おめでたいことの意味。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■4■ 続・江戸紀行 木村副部長

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

続・江戸紀行 江戸を旅する

  ~神田・日本橋編~

▼続きはこちらから▼

おめでたい年の初めに日本橋をそぞろ歩き

http://setaroku.exblog.jp/29163063/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■5■ 編集後記 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

あっという間に松の内も過ぎようとして

おりますが、華やかなお正月らしく、

松本家三代同時襲名の歌舞伎を見に行く

予定です。

現在、第六東青年部の広報誌「せせらぎ」

の次号製作に取り組んでおります。

活動報告など、盛り沢山で準備して

おりますので、ご期待ください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

月刊「せせらぎ」電子版

過去のメルマガはコチラから↓

http://setaroku.exblog.jp/i7/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

月刊「せせらぎ」電子版-Vol.56

毎月6日配信

茶道裏千家淡交会 東京第六東青年部

部長 大聖 千鶴

広報 花村・金田・水野・名郷・神谷

♪♪ご意見はこちらまで↓♪♪

tokyo6eastpress@googlegroups.com

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


[PR]
# by dairoku-higashi | 2018-02-04 19:46 | メルマガバックナンバー

続・江戸紀行 江戸を旅する ~神田・日本橋編~

皆さま、こんにちは
副部長の木村でございます


新年あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます


拙筆も2014年1月から、今回で丸4年目を迎えることができました
よもやま話ばかりで恐縮なのですが、なにかのお役に立てば幸いです


さて「日本橋北神田浜町絵図」を手に持ちまして、そぞろ歩きを続けましょう


今立っているのは、地図の左上「八辻原」のあたりです


神田川を渡った「上(北)方向」は現在の秋葉原のあたり
南北を貫いているのは当時の上野御成道、現在の中央通りですね


それでは通りに沿って、下(南)方向に進んでまいりましょう
現在にも地名の残る「須田町」「錦町」を抜けると、いよいよ「日本橋」


「十軒店町」からが日本橋のメインエリアともいうべき一帯ですね
この辺りの灰色に塗られた町が商人地、いわゆる大店が立ち並ぶ一帯です


ただこの切絵図、前にも書いたことがありますが、武家・寺社については
細かく記載されているのですが、町人地はさっぱりという感じです


そこで今日は「江戸買物独案内」も片手に進んでまいりましょう


「江戸買物独案内」とは、その名の通り、江戸のショッピングガイドで
大坂の版元が、江戸の店から広告料を取って掲載していたものでした


広告料によってスペースに差があったり、記事広告のような挿絵があったり
現在の雑誌・ショッピングガイドの原型のようなものですね


全230頁なので、いくつか抜粋してご紹介いたします


昨今のテレビCMで「七代目市川染五郎が日本橋を散策」というのが
流れていましたが、この高麗屋を凌ぐ江戸一番の花形役者はご存知の通り


成田屋の市川團十郎であったと言われています
そんな団十郎人気にあやかった商品もあったようで…


「団十郎歯磨(20頁)」や「団十郎煎餅(217頁)」なんてものも
あったようです、現代のアイドルタイアップ商品の草分けかも知れません


「十軒店町」には「加州 御用御茶所 御銘茶問屋 八幡屋(61頁)」が
あったようでして、濃茶・薄茶の茶名なども列記されています


加賀前田家は茶道文化の盛んだったお家柄
この八幡屋が、加賀藩御用達だったのかも知れませんね


これ以外にも御茶問屋は数多かったようで、55頁からずらっと列記されています


さて、少し進むと「本町三丁目」のあたりです
本町の辺りには「丸藤問屋(52頁)」が多かったようで9軒掲載されています


ちなみに丸藤とは加工していない籐を扱う問屋の事で
加工用の素材として販売していたと伝わっています


さて「本石町」には足袋問屋も多かったようで
「大坂足袋商人旅宿(161頁)」なんて記載もあります


江戸中期頃までは当時の製品・加工品の多くは京・大坂などの関西圏で作られ
江戸に運ばれ販売されていました、いわゆる「下りもの」と呼ばれるものです


「下り傘(103~110頁)」「下り素麪問屋(164頁)」「下り蝋問屋(179頁)」などで
加工技術・生産技術の貧弱だった江戸では、開府当初から江戸中期頃まで


「下りもの」を有難がる傾向があったとされています
「下らない」というのも、「下るほどの価値がない」が語源とされていますね


さて「本町三丁目」には、私たちにもなじみのある「和菓子屋」もあったようで
「田安一橋 御用御菓子 鳥飼和泉掾(206頁)」というのも掲載されています
このお店は徳川御三卿である、田安家・一橋家の御用達だったようです


なぜか、御菓子屋だけは官職名である「掾(じょう)」が付いていることが
多く諸説あるようですが、この理由についてはまたあらためて調べてみますね


さあ、いよいよ日本橋の中心地、室町二丁目のあたりまでやってきました


左を見れば「日本橋瀬戸物町」


「紀州尾州御用 御膳海苔所 久保田儀左衛門(194頁)」や
「鰹節 鹽(塩)干肴 伊勢屋伊兵衛(112頁)」が軒を連ねています


伊勢屋伊兵衛の大店は、皆さまの良くご存知の「にんべん」のご先祖さまですね


現在も「にんべん」本社は日本橋にあって、「だし」のおいしさを
新しい形で提供している、古くて新しいお店なのかもしれません


この室町二丁目には蝋問屋もあったようで「大黒屋利兵衛(186頁)」とあり
同じ頁には尾張藩上屋敷のあった市ヶ谷「尾州御蝋燭 御用蝋燭問屋」なども
挿絵付きで紹介されています、なんでも御用達があったことが偲ばれます


さて、右側を見てみると、一段と賑わっている大店が見えてきました
皆さんご存知の越後屋呉服店、現在の「三越本店」ですね


「室町二丁目 現金無掛直 糸物問屋 越後屋(8頁)」と掲載されていて
綿などの「太物」に対して、絹織物を扱う「糸物問屋」と紹介されています


歌川広重「駿河町之図」は御成道から江戸城(絵図の左)方向を見たものとされ


富士山がきれいに描かれていますね


広重と言えば「江戸名所 日本橋雪晴の朝」も有名ですが


私たちも日本橋を渡って、進んでまいりましょう


ここからは「築地八町堀日本橋南絵図」に持ち換えて進んでまいりましょう


江戸時代の日本橋通一丁目はこんな感じだったようです


さて「日本橋通二丁目」にやってまいりました


ここには、現在の「永谷園」の創始者である永谷宗七郎が開発した煎茶を販売
財を成した「諸国銘茶問屋 山本嘉兵衛(59頁)」がありますね


お気づきかも知れませんが「山本山」の発祥の地です


かつてCMでは「江戸の味と香りを守り続けて三百年」と謳っていましたが
この日本橋通二丁目で産声を上げたのは「元禄3(1690)年4月」


今から328年前、「百年企業」という言葉はよく聞きますが、なんと三百年企業
ちなみに、現在の会長・社長も山本さん、歴史を感じさせますね


さて、少し歩きつかれたので、日本一の銘茶と謳って販売している煎茶を
ここでいただいて、ひと休みいたしましょう


今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました!

[PR]
# by dairoku-higashi | 2018-01-05 20:59 | 続・江戸紀行

続・江戸紀行 江戸を旅する ~御徒町・和泉橋編~

皆さま、こんにちは
副部長の木村でございます


いよいよ師走、一年もさいごの月となりお忙しいとは存じますが
皆さま、お健やかにお過ごしでしょうか


今月も「下谷絵図」を携えて、ご一緒にまいりましょう


年末の風物詩といえば「アメ横」ですが、できたのは戦後と言われていて
飴を扱うお店が多かったからとも言われています


江戸時代は先月お話しした「下谷練塀小路」の右斜め上あたり
町人地もありますが、御家人の家が立ち並んでいたエリアだったようです


将軍親衛隊の屋敷跡に鉄道が通り、そのガード下に庶民の台所ができる
時代の変遷とは面白いものですね


さて先月の続き、対馬藩主宗氏の上屋敷からお話を続けまいりましょう
今いるのは、地図のやや左下の方「宗対馬守」と書かれているあたりです


鎖国体制の江戸時代、外交と言えば長崎出島のオランダ商館だけ


そんなふうに感じるかもしれませんが、実際にはあと三つありました


一つは松前藩を通じたアイヌとの貿易、もう一つは薩摩藩を通じた琉球貿易
そしてもう一つは対馬藩を通じた「朝鮮との貿易」でした


豊臣秀吉による朝鮮出兵で断絶状態にあった両国関係ですが
江戸幕府開府後の慶長12(1607)年、幕府は対馬藩を通じて国交を回復


以後は対馬藩が対馬・釜山において外交実務を司るとともに
その対価として朝鮮貿易を独占することになったのです


元々、耕作地が少なく海上貿易によって成り立っていた対馬藩にとって
朝鮮との貿易再開は、生きていくためにも必要だったのかもしれませんね


日本からは、当時世界有数の産出を背景に鋳造されていた銀貨(丁銀)を輸出
中国の生糸・絹織物や朝鮮人参を輸入して、大きな利益をあげていたそうです


現在の、石油や鉱物資源を産出・輸出している中東諸国みたいに
当時の日本は世界有数の資源大国だった、そんな感じかも知れません


そんな朝鮮との関係ですが、幕府の権威を示すねらいもあって
江戸時代を通じて12回、朝鮮通信使が江戸城まで遣わされてきました


釜山から海路、対馬・瀬戸内海経由で来日した使節一行は大阪から川船で京へ
京からは陸路、輿や騎乗、徒士を含めて700名ほどの行列を組んで進みました


煌びやかな行列、見知らない風俗を感じさせる通信使一行を見ようと
人々は集まり、絵画や祭礼の出し物などにも使われたそうです


ただ沿道の諸藩には接待が命じられ、庶民も道普請などに駆り出されたため
経済的な持出しも多く、朝鮮自体の財政状況悪化もあったためか
江戸城登城は、宝暦14(1764)年がさいごになったと伝わっています


一説によると、江戸初期の開始直後は招聘・接待に100万両使われていたとされ
その後、綱吉の頃に60万両程度にスリム化したものの、莫大な費用だったようです


1両:10万円換算とすると1,000億円、スリム化しても600億円…


ちなみに現在の国賓を始めとした賓客接待予算は

 外務省 約2億9,000万円
 宮内庁 約7億5,000万円

合計しても10億4,000万円、いかに江戸時代は費用が掛かっていたのですね


さて、そんな朝鮮との外交・貿易を担っていた宗氏のお屋敷を後に
歩みを進めてまいりましょう


地図を下の方に行きますと、津和野藩主・堀石見守のお屋敷が見えてきました
ぶつかった道路は、現在の清洲橋通りですね


その路を右折、地図上では左の方に進んでまいりましょう
現在も地名に残る「佐久間町」のあたりですね


一説によれば、元々佐久間という材木商の店と材木置き場があったそうで
後に火災予防の観点から材木置き場は深川、現在の木場に移ったと伝わっています


神田川の水運を使って、木材を運んでいたのかもしれませんね


さあ、そしてその神田川を渡ると、いよいよ江戸一番の繁華街「日本橋」です
「新橋(汐留そばのとは違います)」を渡って進んでいきましょう



ここからは「日本橋北神田浜町絵図」に持ち換えてまいりましょう


現在、両国・浅草橋あたりと神田を結んでいるのは靖国通りですが
江戸の昔はまだ当然のことながらありません


「新橋(現在の美倉橋)」を渡ると神田川沿いに道が広がっています


現在も川沿いのビルを隔てて、同じような道がありますので
なんの変哲もないこの道は、江戸時代からの道なのかもしれません


左を見れば浅草御門、現在の浅草橋のあたり、その先には両国広小路


両国広小路は火除け地として作られましたが、江戸随一の盛り場でもあり
さまざまな小屋や屋台が広がり、大いに賑わっていたと伝わる場所です


右を見れば町人地が広がり、現在にも残る岩本町もありますね
和泉橋は現在、昭和通りとの交差点ですが、江戸の昔は突き当りのようですね


そのまま進むと御門が見えてきました、現在の万世橋の辺りです
このあたりも大きい交差点であると同時に、広小路になっていますね


交差するのは御成道、現在の中央通りです
左折して日本橋へ、と思いますが、このあたりでひと休みいたしましょう


今月もさいごまでおつきあいいただき、ありがとうございました!


また、今年も拙筆におつきあいいただき、本当にありがとうございます
皆さま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ

[PR]
# by dairoku-higashi | 2017-12-05 18:33 | 続・江戸紀行